LORA is only available to the public on Civitai
LORAはCivitaiでのみ公開しています
it's not about making profits. However...
We can't make new models without Buzz, so don't forget to hit 👍️positive reviews if you like it.
収益を目的にはしていません。ですが・・・
Buzzがないと新しいモデルが作れませんので、気に入って頂けたなら忘れずに👍️ポジティブなレビューを押してください。
Please see the sample for examples of combinations.
checkpoints , Embedding (Positive and Negative) , lora weight.
組み合わせの例はサンプルを御覧ください
チェックポイント、埋め込み(ポジ・ネガ)、LORAウェイト
"Looks like you're making something weird again, lol."
While you might almost hear that phrase, this is a fun exercise where we gathered all available information about Naniwaya Okita, the model for one of the most famous ukiyo-e prints, and used AI to infer what she might have actually looked like. We then had the AI turn our inferences into prompts. (So, to be precise, this is a modern, two-dimensional, deformed reproduction.)
The sample image... think of her as a teahouse signboard girl, or in modern terms, a cafe's helper (and signboard girl) for a family business.
With that in mind, we had her serve coffee. The generated images will vary depending on the checkpoint used, so please use them as a reference to output your preferred "Okita." (The prompts are exactly the same; only the checkpoint has been changed.)
『また変なもの作ってる(笑)』
そんな声が聞こえてきそうですが、有名な浮世絵のひとつ、そのモデルとなった『難波屋おきた』さんは実際にどのような姿だったのかをAIに片っ端から情報を集めてもらい、また推理する遊びです。まとめた推理を最終的にAIにプロンプトにしてもらいました。(つまり正確には現代風2次元デフォルメの再現になります)
サンプル画像は・・・水茶屋の看板娘、現代でいえば家業の喫茶店のお手伝い(看板娘)という感じでしょうか。
ということで珈琲を給仕してもらいました。チェックポイントごとで書き込みが違いますので、お好みの”おきた”を出力する参考にどうぞ。(全く同じプロンプトで、チェックポイントだけ変わっています)
今回、備忘録的な意味がありますので雑談が長いです。重要情報は下部なので暇でどうしようもない方以外は飛ばしてください(笑)
まずは浮世絵を。
当時、幕府の検閲が厳しく美人画に名前を入れることは禁止されていました。歌麿の対抗策として左上に判じ絵として、菜がふたつ(な、にわ)矢(や)沖(おき)田(た)で『難波屋おきた』と明記してあります。
浮世絵には色々な見識がありますが、おおよその説明はこうです。
『芸術性を追い求めるものではなく、絵によって人々を楽しませる娯楽に徹し、販売することによる利益を目的として制作された』
うん。
この説明で「これなーんだ?」と、なぞなぞで問いかけると多くの人は『漫画・イラスト』と答えるでしょう。役割は浮世絵も漫画も同じ。そこに芸術性を認めた第三者がいて芸術となっていく。作者本人の言ではなく、第三者が認めて芸術という部分が清々しくなります。
芸術・アートの本来の姿ではないでしょうか。
まずは『難波屋』ですが、読み方が”なにわや”です。なんば、ではありません。
店があったのは浅草の浅草寺。雷門から本堂へと続くメインルートにあったそうです。浅草寺そのものが江戸で最も栄えたエンタメ地域で年中無休でなにかしらのイベント、見世物小屋や大道芸人も集まるところですから超が3つぐらいつく一等地。20軒ほど茶店が立ち並び、その名も20軒茶屋と呼称された大変な賑わいのある店。当事の茶店は女性にとって見知らぬ女どうしで会話を楽しめる場でもあったそうです。江戸の女性人口は出稼ぎの多い男性と比べて、かなり低かったのでそれだけ貴重な場にもなったでしょう。その家の娘として産まれ、幼少時から親の接客を見て育ったということですから、生粋の商売人でもあったはずです。
茶の料金は30文、かけそば2杯、天ぷらそばなら1杯と同額。この時代に登場して間もない食べ物、うな丼が100文ぐらいが相場の時代ですから感覚的には30文なら1000円ぐらいでしょうか。これで濾し茶2杯~3杯出したそうですから茶を飲みながらゆっくり出来たことでしょう。意外とリーズナブルです。ところが浅草寺というハレノヒに訪れる場所柄、ご祝儀が発生することも珍しくありません。特に看板娘たる”おきた”に対しては100文ほど張り込む客もいたそうです。また他の店の看板娘は呼び込みだけしていたそうですが、おきたは実際に茶を出して接客していたそうです。親の背中を見て育った”おきた”らしい逸話だと思います。
さて。浮世絵全般のことになりますが思い出がありまして、小学生、たぶん10才ぐらいの時に学校の先生が雑談を始めたのです。雑談の内容は「昔の美人はいまと随分違う、現代でいえば不美人」というもので、教科書に乗っていた浮世絵が元ネタでした。
その話を聞いて猛烈なモヤッとしたものを感じた私は意見しました。「先生、こんな顔をした人は見たことがありません。デフォルメちゃいまっか?」
もっとも語彙の少ない阿呆丸出しの坊主だったので、ずっと乱雑な言葉でしょうが内容はこういうものです。
先生怒ったねぇ(笑)
大人が本気で真っ赤になって怒ってるのを始めてみたような気がします。それぐらい怒ってた。普段から馬鹿なことしかしない、阿呆の生徒に突っ込まれたんだから気持ちは理解できます。納得は出来ませんけど(笑)
例えるなら200年後の人が「2000年代初頭で可愛い、美人だとされるのは、目玉が異様に大きくて顎が尖った、髪の毛がピンクで手足が棒のように細い女の子だ。それが証拠にプリキュアなるものがあるし、他にもマンガやアニメといった資料が山のようにある!」
こんな感じかな(笑)
いまだったら先生の顔を立てながら理路整然と反論しますが、我慢するしかなかった私は大変悔しい思いをしました。
そういうのを楽しく飲んだくれてる最中に、フッと記憶に蘇ったのです。
おそらくは当の先生にとっても今となっては若気の至り、笑い話でしょうが、では浮世絵の美人画は実際どんな顔だったのだろうと思ったのが発端です。
まず美意識です。
おそらくは今も昔もそんなに変わってないだろうと思いますが、できるだけ古い女性の写真をAIに聴きましたところ楠本高子さんの名があがりました。
検索してみると知っている写真です。たぶん多くの人が見たことある写真。
シーボルトさんの孫ですね。
写真そのものが珍しい貴重なものですから、撮影者も同じ撮るなら美人がいいでしょう。パトロンがいて撮影費用を出す方も身内だったとしても後世に残ることを考えると単なる記録以上の思いがあるでしょう。早い話が撮影者もパトロンも無意識にせよ美を求めるだろうという推測です。(歯に衣着せぬいいかたですと、へちゃむくれの娘はいくら可愛い我が子や我が嫁でも遠慮する、それぐらい写真は得体が知れず貴重なものってことです)
他にも見ましたがほぼほぼ写真が残っている人は美人の部類です。(美人だから残っているという推測もありますがw)
そして撮られた時期も江戸から50年程度ですから、いくら文明開化の影響があっても美意識は大きくは変わらないはず。と、いう仮定をしました。
この仮定を裏付けるものとして私に最も影響を与えたのは、1950年のミスコンです。浮世絵が描かれてから150年ほど経ってますが、現在から見ても75年前です。
当時、日本で一番見目麗しいとされた方は山本富士子さん。写真も検索すればすぐに出てきます。今見ても普通に美人で、少なくとも不美人だという人は少数でしょう。
それよりも重要なこと。この方のご尊顔をじっと見ると”あること”に気がつくと思います。浮世絵の技法でデフォルメすると、を想像してみてください。
化粧と髪型でかなり変わりますし、どちらも流行り廃りがあるので引き算が必要ですが、まるまる浮世絵美人画の顔立ちだと思いませんか?
肝心の美意識が現代とそう変わらない、変わるのはストライクゾーンど真ん中という仮定の上で、おきたの外見です。
まずは美人になりすぎない、という前提を加えました。
前述の通りストライクゾーンど真ん中は違うと思いますが、また別の理由で当事でも美人になり過ぎは違うように思います。
一見して矛盾がある前提ですが、考えてみれば出来過ぎなんです。
伝わっている伝承はこうです。
『親が経営する水茶屋が、たまたま浅草寺という江戸随一の賑わいの地にあり、そこに生まれた娘が、たまたま類まれな美貌の持ち主で、たまたま稀代の美人画絵師・喜多川歌麿の目に留まり、そして、たまたまその絵師が手掛けることで「寛政の三美人」の一人に数えられるほど全国的な人気者になった』こういうことです。
ラッキーすぎる人生ですね。
・・・そんな奴おれへんやろ~。
”たまたま”を疑った最大の理由は『版元』の存在です。言葉こそ当事はありませんがやっていることは現代でいうところの広告代理店、プロデューサーのそれです。そして歌麿を食客として迎えたのが、あの蔦屋重三郎です。私は見てませんが大河ドラマの人ですね。
私の想像ではこうです。
1)親が経営する水茶屋が、たまたま浅草寺という江戸随一の賑わいの地にあり
2)そこで産まれた娘は幼少時から親の商売を見て育ち、大変に客あしらいがうまく
3)見た目も絶世の美女というわけではないが、充分に可愛く
4)新たなモデルを日頃から探している歌麿が、江戸一番の賑わいがある浅草寺にいき
5)休憩に立ち寄った茶屋の難波屋で、店の手伝いをしている”おきた”に目をつけ
6)版元の蔦屋重三郎に相談したところ、話題性が取れると見込んでプロデュースした。
ラッキー、本人の努力、才覚とは無関係が1)だけになりました。
2)は道を踏み外さなければ、ある種当然の着地点です。
4)は当然あるでしょう。1793年、歌麿の住所情報は残されていませんが、活動拠点は蔦屋重三郎の関係地域で吉原です。吉原から浅草寺まで徒歩20分ほど。ただでさえ人が集まる地域ですから、行ってないことはあり得ないレベルの話です。
5)も普通の出来事です。店に茶を飲みに立ち入らなくとも、「御福の茶まいれ」の掛け声で呼び込みするのが二十軒茶屋の風物詩。”おきた”を見かけることは当然の成り行きです。
6)版元が浮世絵を売るのは仕事。常日頃からネタを探すのは当然で、新たなネタが江戸で最も栄えているエンタメ地。ひょっとすると”おきた”を最初に見たのは歌麿ではなく、重三郎の方だったかも知れません。
いずれにせよ4)5)は、ほぼ確信です。
いくら可愛くて美人でも3丁目の長屋の娘、では実態が伴いません。無名のA子では駄目で、美人画というプロデュースを受ける以上ステージに立ってもらわなくては意味がなく、当事として茶屋は絶好の舞台。なんなら『茶屋というステージに立っている子』を前提に選んだのかも知れません。
そうであれば”たまたま絶世の美女”なんてことはないでしょう。
加えて”おきた”が実子という記録もありませんので、養子、もっといえば容姿が良かったので看板娘として数年前から奉公人として迎えていたという推測も出来ます。
はい、いずれにせよ3)が宙ぶらりんですが、可愛く美人なのは確かでしょう。そうでなければ歌麿が美人画として書いても嘘が露見するのは間違いなく、いくら情報の伝達速度が現代と比較にならないぐらい遅くとも時間の問題です。そんなリスクを歌麿と蔦屋が犯すとは思えません。
おそらく現代とはストライクゾーンど真ん中の違い程度だと思います。
それも含めて、やはり可愛くなりすぎないという方針を取ることにしました。4)~6)の推論を元にすると標準以上で充分。それ以上はまたラッキーの領域に突っ込むので、より現実的なベクトルで作ります。プロデュース説を全面採用です。
と、その前に。可愛いや美しいは主観の部分もありますので私の基準点を。
ひと目でスゲェ可愛い・美人だと思った方です。
ジョーイ・キング、オードリー・ヘップバーン、吉永小百合、ウィノナ・ライダー、ソフィー・マルソー、タリア・ライダー、ジェニファー・コネリー、観月ありさ、イングリッド・バーグマン、キャメロン・ディアス、これぐらいで。
時代にして100年ぐらいの開きがありますが、こんな感じ。なんか可愛い系が多いですね(笑)
さて、まずは髪。
ここでいう髪は髪型ではなく、容姿の美醜と同じく先天的なものです。
富士額ですね。日本髪が似合う象徴とされてきた特徴です。浮世絵にも見られます。
浮世絵では髪事態を非常に重要視され、版を作る際に専門の職人が”毛割”という技術を用いて一本一本の髪の毛を再現しています。
髪が重要視された理由ですが、髪結いは女性にとって極めて重要なおしゃれポイントです。
倹約令真っ最中で華美な衣服は犯罪です。髪結いが免れたわけではありませんが、髪結いは「家人にやってもらってる」という言い訳が成立します。華美な衣服は来ていれば判明しますが、家人(もしくは自分)がやっている以上、贅沢に金銭を使っているわけではないという論法ですね。でも実際はプロの手による髪結いは常識的な習慣でした。
実際取締も極めて緩かったようで幕末頃に徹底調査したところ、江戸に1400人の髪結い職人がいたそうです。あまりの人数に影響をおそれ幕府も「お咎めなしにするが早めに転職しろ」という御触れまで出したそうな。
つまり衣服でおしゃれをするには限界があったため、その分だけ髪に手をかけたようです。
現代では見ることがない衣服の特徴としては掛衿があります。貼り付けた浮世絵にも描かれている襟の黒い部分ですね。着物の洗濯は大変な作業で、針仕事までついて回ります。頻繁には洗えるものではないので肌襦袢で汚れないようにし、さらに一番汚れる襟元だけを取り外し出来るようにして色も目立たぬ黒にした。頻繁に洗える(つまり金持ち)の武家女性の着物に掛衿がついていないのはこれが理由です。
おっと横道にそれました。
と、いうことでLORAも富士額を採用します。
なにせ浮世絵のおきたにも富士額があります。描かない理由がありません。元となったプロンプト版で”富士額”は極端に再現率が低かったので、あっさり諦め学習画像にPhotoshopで手を加えました。
次は”目元”です。目の形と角度はすんなり浮世絵とにらめっこしました。
後は川柳や俳句。目元が涼しいという形容が多く、これを形にすると『切れ長』『透明感(瞳)』『腫れぼったさがなくスッキリした』『スッと流れるような』といった感じ。ですが、この言葉には多分に精神性も含まれています。『意思の強さ』『気風が良い』『クール』という類の言葉です。
では顔の印象全体に影響を与えるまぶた、つまりは一重か二重かです。
こねくり回して考えなければ、すんなりと一重にすべきかと思います。ですが実際に浮世絵で描かれている人々の中に二重が見つけられれば「そうか、おきたは一重に描かれていたか」となるのですが、肝心の浮世絵において二重の女性が見つけられない以上、新たな可能性「そもそも二重なら描かない」「二重でも一重として描く」というのが浮上してきます。一方男性は二重で描くケースがあります。役者絵ですね。これは表情を強調する意味が強かったと思われます。
女性の二重で描かれたケースがない一番の理由は、これは美意識と様式美でしょう。
江戸時代、二重まぶたは”ふたかわ目”と呼称されました。ただ醜いという認識はなく理想的に一重まぶたが好まれたのは確かなようです。二重まぶたは色っぽくて、一重まぶたは嫁さん向きだ、そんな内容の川柳があったのですが、原本に当たれませんでした。男性にとって二重まぶたはより色っぽく感じたと思われます。
では女性自身はどう考えていたかと言うと、都風俗化粧伝に「目の大いなるを小さく見する図」というのが紹介されています。つまり女性にも一重で小さい目が好まれた証拠でしょう。
化粧法ですがおしろいを塗り込み、遠くを見る目つきをすると良いそうです(笑) これは剣術に”遠山の目”というのがありまして、それから引用しているようにも思います。
要するに女性も美意識として一重が理想だったようで、二重の人は化粧で誤魔化していたようです。やっていることは現在と変わりありませんね。価値観が一重から二重になり、化粧が整形になっただけです。時代を超えて女性がかける情熱のベクトルがよく判る話です。
色っぽさを求められる遊郭ですが、これも遊郭文化は武家文化から頂戴しているものが非常に多いので、おそらくはその流れで一重が理想になっているのだと思います。武家文化から頂戴しているものの代表格は前帯ですね。前に帯を垂らすのは武家、それも江戸時代初期に廃れていった習慣ですが吉原遊郭では残っています。
浮世絵の様式美の方ですが、これが長くなりますので内容を削りながら。
誤解を恐れずにいうと浮世絵は写実ではなく、どの描き方で描かれたか、の方が重要です。
ココらへん漫画と非常に似ている部分があるのですが、例えば萌え系の絵柄で鼻がどのように描かれているか、これも様式美です。
例えばウマ娘の鼻、これは”鼻先チョン”で鼻筋とか描かれていませんよね。こういったデフォルメの仕方の規則性が(どの描き方で描かれたか)の話で、結果として流行りの描き方が生まれます。
漫画でも、よく”個性的な絵” ”斬新で新しい” ”絵柄が古い”などなど言われますが、まさにそれです。
おっとまたもや横道に。
化粧で誤魔化していたにせよ、見た目で一重なら一重にすべき。
ということで一重にします。
・・・でも出ないんだなぁ、これが。
プロンプトで出ないので学習データをPhotoshopで修正しました。でも肝心の再現がいまいち。。。
勝手にまぶたラインを追加して二重にします。
現在のところ唯一『SteinIllustrious』が再現してくれるチェックポイントですね。すごいです。
顔の中心、鼻です。
様式美の話をしましたが、浮世絵ではハッキリと描かれます。
そして鼻が、おきたちゃんの特徴が一番出やすいところだと思うのですが、おそらくは鷲鼻です。別名ローマ鼻ですね。
貼り付けはしませんが浮世絵『当時三美人』が一番わかりやすいと思います。
3人が描かれた贅沢な浮世絵ですが、おきたちゃんだけ明らかに鼻のカーブが異なります。
江戸時代ですが、他人と異なる顔立ちに美を感じる節があり、鷲鼻にマイナスイメージは全くありません。(あくまで全体のバランスが合っての話ですが)
むしろ高貴さ・力強さ・意思の高さなどなど、かなりのプラスイメージがあったようです。
鷲鼻というのは3秒で決定、いや、おきたちゃんの特徴で一番初めに捉えたところだったのですが、これが出ない。
AIが超苦手とするところ、一重まぶたと鷲鼻です。(学習はしているはずなので、ちゃんと再現するチェックポイントを探し中です。気がついたら教えて下さい。)
一重まぶたは、まぁギリギリ、妥協して及第点としますが、鷲鼻はサッパリですね。
元の学習データです。元の学習データです。確かに抑え気味のカーブにはしましたが。
唇もぷっくらおちょぼ口にしたのだが。。。再現難しぃ~!
パーツごとに再現はしているのだが、まるっとセットで再現しません。
学習はしているだろうことが救いです。
おきたちゃんですが、その精神も疎かには出来ません。
むしろ学習データの細かな表情付けはココでやっています。
文献が極めて少ないのですが、それだけに残っている逸話はよく特徴を捉えたものとなっているはずです。
『美しいだけでなく、茶代の少ない客にも愛想が良い』
『おきた目当ての見物人が多すぎて、茶を飲む人に支障が出ると、集まった見物人に水をぶっかけて追い払った』
『周りの水茶屋の呼び込み(看板娘)は接客をしなかったが、おきたは接客をしていた』
こういった情報があります。
『茶代が少ない』というのはプラスアルファの収入、御祝儀のことでしょう。
あくまで水茶屋は飲んでもらう茶で儲けるべきで、御祝儀の位置づけを見失わないといった信念をもっていたのでしょう。
また単なる金額ではなく茶を好んで飲んでくれる客を大切に思っていたと感じます。これは浮世絵にも現れていて、一杯の茶を胸より高く掲げ、背中を曲げ気味にして大切そうに運んでいます。顔は優しく描かれ楽しく朗らかに働いていたことが伺えます。
ひとことでいえば性格が良かったのでしょう。
『見物人に水をぶっかけて追い払う』なんとも勝ち気な話です。ちょっとおきゃんな所もあったのでしょう。でもクスリとする話です。
チヤホヤされても浮つかない、茶を飲みに来た客を大切にしたいという思いの裏返しだと思います。
『おきたは接客をしていた』美人だと話題になって見物人まで押しかけるようになって、そんな周囲の騒動を意に介さず、自らの仕事である茶屋を大切に思っていたのでしょう。
両親の助言もあったのかも知れませんね。
さて、どうでしょう。
きりが無いので、顔の目立つ部分のみ説明を入れましたがこのように作ってみました。
ちなみに普段のLORA作成の5倍くらい時間がかかりました・・・。
出来上がりは見ての通りです。
近所の喫茶店にこんな子がいてたら通いますでしょうか。
私は『もちろん通う』です。モーニングとランチ、一日二回顔を出します(笑)
もともと一重まぶたの女の子って好きなんです。『だがしかし』のサヤ師とかメチャクチャ可愛いと思います。あ、・・・漫画版LORA作ろうかなw
一重まぶたが不細工に見えるのはボーッとした、どっちかというと精神にあるのでは? と思うのです。
キリッとした知的な顔立ちで一重まぶたってたまらなく魅力的だ。
そんなことを再確認したLORA作成でした。
楽しんで頂ければ幸いです。
トリガー : Nan1aya_uk10e, 0k1ta
基本安定化 : black hair, black eyes
着物 : tyaya_kimono
着物強化 : plash patterned kimon
髪飾り : hair ornament
かんざし : kanzashi
下駄 : geta
帯 : black obi
髪型- 燈籠鬢(灯籠鬢) : t0r0bin_Hairstyle
どうもAIにとって常識外れの髪型らしく、すぐに”もみあげ”を描きます。(現代髪型と比較して圧倒的比率で学習、もっと枚数を増やせばいけるのでしょうが)チェックポイントによっては全く描きません。
必要に応じて追加してください:((nihongami)), ((hair bun:1.4)), ((hair pulled back)),
あくまでお好みですが : ((roman nose))
ネガティブに : ((Sideburns:1.4)), Wide forehead